honagsuki’s blog

シュタイナー傾倒中

ポンコツ

今がどれほどポンコツでもむしろポンコツであればこそ、この自分にしかできない何かが必ずある。

 

それが目立たずどれほどささいに見えようとも、大切なものほどむしろ外からは理解されないものだし、価値のあるものほど時間をかけてこそ得ることのできるものだと。

 

やっと、気がついた。

宗教と政治について

宗教組織が政治活動をすることに嫌悪を感じる人がいることはよく理解できる。しかし、問題の本質はそれがどのような宗教なのかということだと思う。

結論を言えば、国家主義民族主義と結びついた宗教が何時の時代も必ず悪さをする。本来、信仰心と民主主義は矛盾するようなものではありませんから。キリスト者も仏教者も国家主義民族主義の対極にあります、キリストや仏の前には国境も民族差別もありえないのですから。

難解なブログ「危機」

安倍晋三という政治家は政治悪の権化なのか、それとも戦後保守本流の最後の巨星だったのか。

 

この政治家を認めるか否定するかによって私たちの社会の底流におおきな裂け目が存在していることを私たちは目の当たりにした。

 

権力者と搾取される者、あるいは抑圧者と抑圧される者というような古い世界観では少なくとも計ることのできない奇妙なそして恐らくはこそ知れぬ裂け目だった。

 

この社会は抑圧される者とする者の境い目さえも飲み込んで、まるで社会そのものが抑圧と搾取をテクノロジーによってオートマチックに無限に再生産をしているかのように機能している。

 

そこにこそ危機があるのではないか。

 

それは、これまでの思考習慣では太刀打ちできない危機なのだ。そのことに今朝気がつきました。

 

 

信仰と戦争

ひとりの信仰者として言うなら、戦争は宗教によって引き起こされるのでなく反対に信仰がいたらなかった為に起きたのだということになる。

その意味で戦争を阻止できなかったのは宗教の責任だとの責めは全く正しく、信仰者が背負わなけれならない十字架だろう。