これからの社会の姿について、私たちは全く見通しが立たないところにいる。
このことを認めることができた時、重要な一歩を踏み出すことが出来るはずだと思う。
マスコミやネットのなかでは、何も見えていない人たちが何も分からない人たちと議論してしているだけのように見える。
つまり、「自分自身」のことを「なにも見えていなかった」と認めることができた時、新しい自分について、そして「新しい社会」について語る用意ができると言いたいのです。
どのみち、あきらめることなど出来ないなら、語り始めたい。
それがどんなに未熟でも。