安倍晋三という政治家は政治悪の権化なのか、それとも戦後保守本流の最後の巨星だったのか。
この政治家を認めるか否定するかによって私たちの社会の底流におおきな裂け目が存在していることを私たちは目の当たりにした。
権力者と搾取される者、あるいは抑圧者と抑圧される者というような古い世界観では少なくとも計ることのできない奇妙なそして恐らくはこそ知れぬ裂け目だった。
この社会は抑圧される者とする者の境い目さえも飲み込んで、まるで社会そのものが抑圧と搾取をテクノロジーによってオートマチックに無限に再生産をしているかのように機能している。
そこにこそ危機があるのではないか。
それは、これまでの思考習慣では太刀打ちできない危機なのだ。そのことに今朝気がつきました。